妻にマッサージしていて気づいたこと。
昨日からやや熱っぽく、腰を痛めている妻。
今、その苦痛が少しでも和らげばと、マッサージを終えたところです。
マッサージをしながら気づいたことを少し書いてみます。
何に気づいたか?というと、
「マッサージって、コミュニケーションの基本を教えてくれるんじゃ?」
ということ。
といっても、「スキンシップって大事よね!」ということではないのだ。
少しのイライラやまどろっこしさを携えつつも、手間と時間をかけて、望んだ結果を得られなくても、そのプロセスがとっても大事では?ということ。
妻はアロマやデトックス、ココロとカラダなどバランスを整えていくプロ。
一方私は、マッサージをするのは好きだけど、決して、決して上手ではない。受ける方としても、足裏マッサージ一辺倒。
今日は妻が扱っている「漢方アロマ」をオイルで希釈し、「かっさ」という水牛の角でつくった道具を使って、「滞っているところを流す」というマッサージを指示受けしながら小一時間。
案の定、
私「ここらへん?」
妻「ん・・・。」
私「ここらへん?」
妻「もうちょい右」
私「ここらへん?」
妻「ちょいちょい下」
私「こんな感じ?」
妻「もうちょい強めがいいかな?」
のようなやりとりが、場所を移動するたびに繰り返される。
そう。どこが痛いのか?どこが滞っているのか?が私には見えないのだ。
さらに、「ちょっと」が1cmなのか3cmなのか、アリから見ればすごい差だけど人間から見れば人それぞれのビミョーな誤差が生じる。
この、「具体的に発信し」、「ビミョーな差も、良いさじ加減になるようにお互い協力する」。これって面倒くさいかもしれないけど、イライラするかもしれないけど、意識して大事にしないとだめなんじゃないかと。
これね、やっかいなのは、「プロ」と呼ばれる人たちは、おそらく「ピタッ!」と痛いところや滞っているところをファーストタッチで探り当て、「絶妙な強さ」で魔法のように、なんなくこなしてしまうのですよ。
そうすると、
「なんで分かるの~!」
「この人はわたしのこと分かってくれてる!」
となってしまうと、イチイチ面倒なやりとりをする夫は
「わたしのことを全然わかってくれてない!」
みたいな比較になっちゃうんじゃないかと。
「プロ」に頼んだ方が、「正解」なのかもしれないし、得たい効果や結果はすぐ得られるかもしれない。いや、すぐ得られることは確実。
でもね、発信しなくても「分かってくれる」というのに価値を見出すのは早計ではないかと。
夫の方も「整体行ったら?(プロにやってもらえ)」というリアクションじゃなくて「マッサージしようか?」。
「ちょい右」「ちょい下」の発信に、「もう、わかんねーよ!プロじゃねーし」とさじを投げないこと。
痛いところや滞っているところが目に見えないように、今何を感じているか?とか、何かに違和感を感じたか?とか、何かを問題として抱えているか?は目に見えない。発信しないと分からない。
(もし、占いやスピリチュアルで「なんでわかるの~?」を経験しても、「それに比べて・・・」と比較しちゃうのはやめてね。)
発信を受け止めた夫側は、魔法のような解決策をズバッと提示できるプロじゃなくても、「プロに任せれば?」とか「わかんねーよ」じゃなくて、「こんな?」「こんな?」とキャッチボールを続けていくこと。
こういうことに時間をかけていく。
「まったく・・・」「ほんとに・・・」「イラッとする・・・」っていう場面もあるだろうし、面倒かもしれないけど、こういうことに時間をかけていく。過程を共有していく。もしかしたら得たい結果をすぐ得られないかもしれないけど。
そうすると、インスタントな関係じゃなくて、「いい感じ」になっていく気がするのです。
この面倒なプロセスを経た後の
「うん!そこいいかんじ!」
は、大きな喜びの瞬間です(笑)。
勘の良い方はもうお察しかもしれませんが・・・。
そう。
腰の状態は改善せず・・・。
明日、妻がゴッドハンドとして心酔しているオステオパシーの先生の所へ(笑)。
そう。望む結果は得られませんでしたが、大切な時間だったのでは?と自己満足の報告でした(笑)。
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